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鬼若丸・鯉・菊

後の武蔵坊弁慶である鬼若丸は、比叡山西塔という所で暮らしていた。その出生は凄まじく、母の胎内に十八ヶ月もおり、生まれた時には普通の子の三倍もあった。その姿から鬼若丸と名付けられ、すぐに比叡山延暦寺に預けられたのだった。
ある時期、比叡山横川の池で身の丈八尺もある巨大な鯉が暴れ、女子供を食い殺し、人々を苦しめていた。それを聞いた鬼若丸は短刀ひとつ携えて池に飛び込み激闘の末、見事に鯉を退治したのであった。

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